生きている実感は、いまここの五感にある

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生きている実感がない

生きている実感がないという人がいます。心を閉じているのでしょうか。

自分が自分でないような、世界から感覚が切り離れたように感じるようです。


人とのつながりも感じられず、いつも孤独感を感じています。

人付き合いで気をつかいすぎているのでしょうか。絶えず何かに悩んでいます。


このように、「実感がない」とか「感じられない」というには、「悩んでいる」とか「気をつかう」ことの裏返しです。

感じることを疎かにして、考えすぎてしまっています。


考えないということ

考えるということは、自分の内側で起こることです。ほとんどの場合、頭だとか脳で考えています。

逆に、考えないということは、自分の内側では何も起こっていません。そして、考えない間は、自分の外側で起こっていることをただ感じることに費やされます。頭だとか脳ではなく、まさに全身の五感で感じています。


つまり、考えないためには、五感で感じることが大切で、それによって生きている感覚を取り戻すことができます。


生きている実感がない人は、どうすれば実感できるかを真面目に考えすぎてしまいます。

もしくは、どうやったら思考を止められるのかと考えてしまいます。

人生を実感するのが目的なので、考えてしまっては本末転倒です。


どうこうしようと悩むのではなく、生きている実感なんてどうでもいいさと手放すことが必要となります。

生きている実感を得たいなら、生きている実感を得ようとしてはいけません。

これは、考えたり、判断したりしないで、ただ思考を流すという動作になります。


考えることは止められない

思考は止めることができません。自動思考や雑念といって、人間は必ず考えてしまう生き物です。

人間は考えることで進化してきました。

だから、考えることを絶対視してしまうのですが、たとえデスクワークであっても考えることは半分程度までに抑えるべきでしょう。


止まらない思考を止めるためには、思考を止めようとしてはいけません。

自分は「思考を止めようとしているな」と感じるだけで流すようにします。

思考から思考につなげずに、思考から感覚につなげます。

また、思考が出てきますが、「あ、出てきたな」と感じます。


そうやって、思考、感覚、思考、感覚、思考、感覚と繰り返していきます。

別の言い方をすると、内側、外側、内側、外側、内側、外側です。

しっくりこないなら、頭脳、心臓、頭脳、心臓、頭脳、心臓でもいいです。

マインドフルネスで言えば、雑念、呼吸、雑念、呼吸、雑念、呼吸ですね。

まるで自律神経の交感神経と副交感神経を使い分けるかのようにです。


考えが必要なとき、考えが必要ないとき

いつでも考えるなというわけではありません。

親や上司が言うように、考えることは大切なことです。

ただ、それだけではダメだよということです。


考えが必要となるのは、正しいことが求められているときです。

逆に、考えが必要とならないのは、正しいことが求められていないときです。

正しくなくていいなんて嘘だろと考えてしまう人は、思考の悪循環に陥っています。

正しさなんてどうでもいいことです。


正しいことだけ求めるから、休みなく働いてしまうワーカホリックが生まれるわけでです。

真面目に働くことがどんなに正しくても、ときには休みをとる必要があります。


正しいことだけ求めるから、過度なダイエットに励んでしまうわけです。

痩せていることがどんなに魅力的でも、きちんと食べることが生きるための大前提です。


正しいことだけ求めるから、カフェインでブーストして残業してしまうわけです。

体に鞭打って頑張ることが美学でも、体に無理をさせてばかりいてはパフォーマンスは維持できません。


正しいことだけ求めるから、仕事も人付き合いも完璧主義になってしまうのです。

どんなに完璧を目指しても、完璧な人などいないし、誰も完璧人間にはなれません。


まだまだありそうですがこの辺で。

要は、考えるときと考えないときのオンとオフをしっかり切り替えるということなのですが、どちらか一辺倒で極端になってしまいっている人は、まずは切り替えを意識してみてください。

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