なんでもシェアする世界
インターネットやSNSの広がりと共に、手紙や書籍など推敲して清書して出す世の中から、日常をInstagramやFacebook、Twitterなどに簡単にシェアする世の中になりました。
そういったSNSを覗いてみると、とにかくみんなシェアしようと叫んでいます。私もシェアされた情報から多くの恩恵を受けており、便利な世の中になったものだと感じています。
一方で、シェアできないこと、シェアしたくないこともあると気づきます。
疲れて判断能力が落ちているときなどは、そういったものまでシェアしてしまい、さらに疲れてしまった経験のある人もいるのではないでしょうか。
自分をケアして守るということ
シェアすることで、人は他者やコミュニティに貢献している感覚を持つことができます。
他者やコミュニティへの貢献感は生きていく上で必要なことですが、それはあくまで貢献であって、自分に返ってくるのには時間がかかったり、返ってこないこともあります。
人間はコミュニティに所属する生き物ですが、本来は孤独な生き物でもあります。その孤独を他者との交流で癒すことも必要ですが、孤独を自分で癒す術も身につけておくことが賢明です。
結局のところバランスなのですが、疲れたらシェアせずに休んだり、休みたくないならペースを落としてみたり、人それぞれやり方があると思います。
セルフケアと他者にケアしてもらうカウンセリング
ケアというと、マッサージやデトックスなどのケアサービスからセルフケアまでさまざまありますが、自分にあったケアをいくつか持っておくことがおすすめです。(これをコーピングと言います。)
セルフケアであれば、ストレス発散に好きなことや趣味に没頭してもいいですが、何かに没頭できないという人は、ヨガやマインドフルネス瞑想などリラックスしてできるケアがいいでしょう。
カウンセリングであれば、他者に心のケアをしてもらえます。体のケアはやっていても、心のケアを怠っている人は多いようです。
カウンセリングは守秘義務が守られますので、ちょうどケアとシェアの中間のような位置付けです。
一人で孤独感を味わうことなく、シェアして疲れてしまうこともありません。
シェアが広がるオープンな社会において、自分をケアするマインドフルネスとその中間にあるカウンセリングが広まっていけば、社会はよりよくなっていくんじゃないかなあと思っています。
「疲れたな」と思ったら
自分では驚くほど自分のことがわかっていないものです。
「疲れたな」と思ったら、今疲れているのか、前からずっと疲れているのか、体の調子が悪いのか、悪いとしたらどこが一番よくないのか、心がざわついているのか、だとしたらイライラしてるのかクヨクヨしているのか、その感情はどこから来るのか、などを考えてみます。
すぐにはそんなには気づけませんが、カウンセリングやマインドフルネスを行っていると、徐々に気づけるようになっていきます。
「たかが疲れ、されど疲れ」です。疲れ切ってしまう前に、できるうちに心をケアする習慣を身に付けたり、人に助けを求めることも必要です。
コメント